
コロナ、コロナで日が開け、日が暮れる〜こんな新しい生活が1年を超えようとしています。新しい生活といっても、できうる限りの制限に追い打ちをかけるように、さらに制限をかけた生活スタイルを、誰が想像したでしょうか。いえ、誰もしていないと言い切ってもいいだろうと思うのです。新しいというより、狭められた生活と言い換えたほうがいいのかもしれません。
その一方で、新しい生活スタイルのなかから自分らしい仕事の進め方、相手を尊重した対応の仕方など、従来のままに進めていたら出会えなかったかも知れない自分を覗けたと。そういう意味では、決してマイナスばかりのコロナ生活ではないのでしょう。何事も一方的な見方でなく、立ち上がったり座ったり、窓辺に近づいたり退いたりと、視点を変えることで見え方が変わり、そうすることで手に入れるものも変化する。
上司から教育指導を受けることなく育つ若手社員の言葉使いの稚拙さ。これには目にあまるものがあります。ひょっとすると、むしろ被害者かもしれませんが。
「この書類をコピーしてくれ」と上司から指示され、
「何枚ご入用でしょうか」と質問した部下。
特段に問題だとは言えないものの、簡単に「何枚必要ですか」と聞けばいいのに。
オフィスの入り口から来客が顔をのぞかせ
「山田部長はいらっしゃるかい?」と、どうやら顔見知りらしい口調で。
それに応えた女子社員が
「ああ、山田部長はご不在です」と。
これを笑っていいものかどうか。
こんな職場の笑えない敬語、謙譲語のエピソードは吐いて捨てるほど。今風に言えば、どこかの個人マーケットでも売れるなら売りたいくらい山積みなのです。
「部長は外出しておりますので、帰社しだい折り返し電話させます」
これが顧客への普通の対応を、今風に言えば〜この「今風」というのも変な話しですが、次のようになるのが多いのです。
「部長は外出して不在ですので、帰社しだい折り返しお電話させていただきます」となる。この、「させていただく」症候群の多いこと、多いこと。
「ばか丁寧な言い方しなくていい!」という上司の言葉に、「はい」というのではなく、「どうしていけないのか」と首をひねる若手社員たちが目に浮かぶではありませんか。ところがもっと具合の悪いことには、指導役と言われる先輩、はたまた上司たちの言葉つかいもイマイチ、的確なものがないのです。なんとなく引き継がれてきた間違い言葉を、間違いだけはそのままに引き継がれた〜。
そんな恐ろしい実態が、あちこちの企業、職場で散見さるのです。
先日、某ニュース番組で。
街のレストランで大盛りカレーの食い逃げ事件を取り上げていました。仕事もなく、もち金もなく、さぞかし大変だな〜と何となく食い逃げ犯をかばいそうな自分を笑いながら画面を見ていた次の瞬間。被害にあったレストランの女子店員曰く、「あっと言う間に逃げていかれた男性が〜」と、食い逃げ犯に敬語表現。本来笑えないのですが、笑ってしまいました。この手の敬語表現は枚挙にいとまがありません。
「昨日、ペットの犬が亡くなりましたので、今日は欠勤させていただきたく、連絡させていただきました」と、社員からの電話。何と返事していいやら〜と、頭をひねる上司。この手の「亡くなった」表現は、今、始まったことではないのですが、これも笑えます。「死亡」や「亡くなる」は、人に対して使う言葉で犬や動物園のパンダなどは「死にました」というのが普通だと。ただ、あまりに現実すぎる言い方だという意見も多く、そんな時には「息を引き取った」「静かに旅立った」という表現もあるという。先だっては、長年飼っていた亀が死んだということを「亀が亡くなった」という人がいて、失礼ながら笑いそうになりました。「亀が死んだ」でいいのではないかと。
どちらにしても、相手に伝える表現力があまりに乏しく、また、直接表現を嫌う風潮がこれまたあまりに目立ちます。直接的な言葉が憚れるのなら、相手に対する優しさを優先するなら、もっと豊かな言葉、表現を「言葉の冷凍庫」に貯蔵しておく努力が欠かせないのではないでしょうか。
「言葉は生き物」とよく言われます。専門家の林修氏も「平安時代はこうだった」と、その変遷について説明されているのをよく耳にします。変化、変遷が当たりまえだとしても、今、この時代の使い方はしっかり正しいものを身につけているビジネスマン、ウーマンでありたいです。